卒研で佳境とはいえ,この日の更新だけは忘れません.久々の更新が追悼文章です.
さて,今日はレッドクリフpartⅡをやっていたので,赤壁の話題から文章を書いてみます.
赤壁で曹操は周瑜に負けたのか?
ここは,疑問になるところですが,敗れたことには間違いないと思います.大規模な戦にはなっていないとは思いますが,周瑜と戦うための準備が足りなかったということにつきます.
では何故赤壁で負けたのか?
考察
(1) 気候に不慣れであった
呉軍は長江という地の利を得ております.かたや北方育ちが多い魏軍には,長江の波や風など風土が合わないことが大いにあったことが考えられます.風土病の発生もここが原因であると思います.
(2) 曹操自身もしくは魏軍が油断していた
魏軍は100万近い軍勢と称して,呉に攻め入り,迎え撃つ呉はたかだか10万に満たないくらい.これでは,勝ったもどうぜんと油断をしても無理ありません.レッドクリフのときみたいにちょっと厭戦ムードになっていてもおかしくなかったと思います.
(3) 長江に負けた
(1)にも近いのですが,長江の複雑な流れに巻き込まれたところを呉軍に急襲されたということもあったのではないかと思いました.
いずれにしろ,曹操が敗れたことで歴史が天下三分へと向かったわけです.
ここからは,追悼.
曹操の偉大さは,一言では語りつくせないです.しかし,あえて一言にするならば,志の強さと不屈の魂にあると思います.
彼は赤壁以外にも何度敗北をしています.しかも,宦官の孫という当時としては大きなコンプレックスを持っていました.それでもあれほど偉大な功績を残すことができたのは,やはり彼に強い志があったことやそれを達成するためにあきらめない不屈の魂があったからこそだと思います.彼の魅力は曹操という人物を知れば知るほど引き付けられるものであり,これは古今東西英雄多しと言え,なかなかいるものではないと思います.
2009年にはお墓も見つかりました.ファンとしてはうれしいですが,やはり安らかに眠っていただいていることが一番の願いではないかと思います.
2010年 1月 想いを馳せながら追悼
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